いきなり、何言うの?
なんて思わず、気楽に読み飛ばしてください。
時々、出てくる、箸休めページです。
私は時々、頭の体操をします。結論の出ないようなテーマを、
考え、気分転換を図ります。
何も考えない方がリラックスできるんじゃないの?
という方もいらしゃるでしょう。
でも、まぁ、こんな人もいるということで。
さて、「神は存在するか?」ですが、
確かに大変なテーマですね。
私なりに考えることを述べます。
短く切り詰めるつもりでも、長くなりそうですので、いくつかに分けてお話しましょう。
互いに理解しあえるために科学的手法で説明すること。これは良い方法ですね。
科学的検証を始めるとして、3つの条件があります。
1つ目は、何を検証するのか明確にする。
2つ目は、まず検証を始めるに足るデータがあるかどうか確認する。
3つ目は、そのデータを分析して、再現性のある法則が得られるかどうか確認する。
1.検証対象の明確化
「神」と「証明」の意味を明確化します。
簡単なほうから行きましょう。
証明。これは、論理に正しいことを明らかにすること。で良いですね。
神(の存在)を論理的に正しいということを明らかにすること。になります。
では、「神」って何?
今までこれを定義できたら存在の証明となるという意見がありました。
ただ存在を証明する以前に、ある概念が命題になることがあるので、やはり、定義しましょう。
一般的には、次のように考えますが、いかがでしょうか。
根本原因⇒宇宙の原因⇒宇宙を存在せしめた原因であり、持続させ続ける原因
我々は今、時間の中に居ます。掘り返すつもりは無いですが、
エントロピーゼロで時間の無い質量のみが存在する状態。しかも、
プランク時間の10-35秒以前は、超高温にも関らず、
絶対零度のように時間が存在せず凍結していたのでしょうか。
これについては、今回の質問の興味領域外です。
現在の科学では、検証対象になり得ません。
データが取れません。
神は時間の原因である必要もありそうです。
分かりやすくするとして、この時間を有する宇宙の原因者という定義はどうでしょう。
2.検証するに足るデータの有無
さて何をデータにしたら良いのでしょう。
物理学では、たとえば重力の場合、重力という性質があるらしいからその作用した結果を調べようとしました。
では同じように、神という性質があるらしいから、解析対象にし、その作用した結果を調べます。
神の作用した結果とはなんでしょう。
これを確定する事自体が、かなり解に近づきそうです。
私が着目したのは、次のような作用や現象、そして法則性です。
メタ物理学をも一次元超えるメタ・メタ物理学とでもいえそうな方法が必要です。
メタ物理学とは、物理学の手法を反省する手法で、不確定性理論以降、
一部で命名されましました。方法論自体を問うてしまったという意味で、もっと基礎的な数学の分野では、
不完全性定理として数学自体が反省しています。
今回は、それをも含む原因者なので、それらをも客観視します。
これらの要素は哲学自体を反省する必要があるので哲学の要素を選びました。
神という仮定の下に成り立っていると考えればよいであろう事象です。
これらの法則性を検証することが誤りであれば、これ以上進めても意味はありません。
私は、この冒頭の命題に意図するものは、これを検証することにあるのではないかとも、
深読みしました。いかがでしょうか。神そのものの作用をひとつで言い表すことが、私にはできなかったので、
複数挙げました。神の属性あるいは神性とでもいえるでしょう。
①、②、③、④は哲学的要素ですが、⑤は宗教的要素です。
まだ、網羅が足り無いかもしれませんが、
ひとつでもクリアすれば、その項目の原因である神性が存在することになります。
そして全部クリアすれば、より多くの神の属性が証明されることになります。
①(人間の)自己認識作用。 こうして議論できる原因です。
②状態の恒久性。 ⇒ 世界は存在するのか
③科学的秩序 ⇒法則は存在するのか
④生命現象の継続性 ⇒ 生命は存在するのか
⑤人間の意識が原因となりうる別の宇宙を創造できるか
結果である人間がこれを出来てしまえば、神が存在することになります。
3.検証
さて検証してみます。3つ目の再現性も一緒に見て行きます。
①私の自己認識作用は実在していると確信しますし、
あなたの自己認識作用も実在している証拠が豊富にあります。
長くなるので、省略しますが、私は、「我思う、故に我有り」は、
無理の無いアプリオリな前提から発した考察で、明証性のある帰結と考え、
これを元に演繹、つまり応用して効果のある法則だと考えます。
般若心経の五蘊であるクオリアも自明性を問うことと並行して応用できる属性です。
②状態の恒久性
中国の故事、杞憂の例のように、明日の朝、玄関から足を踏み出すと、そこには奈落の底に繋が深淵があったり、
いきなり土星の衛星タイタンが目の前にあるというようなことは、まず起こりません。起こるとすれば、そのような法則があって・・・
という果ての無い議論に行くことはひとまず置いておきます。いいたいのは、まず毎日の生活から帰納できる再現性の高い世界が成り立っており、
有効に演繹し日常に使えるということです。秩序があるといって良い世界が周りに展開しています。
③科学的秩序
これは?の厳密解釈ともいえます。この世界はすでにここで利用している科学的考察が成り立つ世界です。
発見された多くの法則は応用されています。新しい法則に吸収されても同じこと。
ゲーデル以来、科学がいつの日か絶対法則として、完成するということはなくなりました。
でも有効な法則は日々発見され続けています。
④生命の存在
ネゲントロピー装置たる生命体の存在を理解できます。私も生命体のひとつです。
①~④までの考察により、その原因が存在することになります。
さて、①~④の考察が失敗したときの切り札たる、⑤ですが、使う必要がなくなりました。
これは厄介。まだ人間は宇宙を創造したというデータを持ちません。
ただ部分的になら実現しつつありますが、
①の自己認識能力は、②~④の情報を認識することも出来ます。
その結果、宇宙を理解していきます。理解していくことは、結果として、
創造していくことと同じ結果を生むともいえます。
この考えは認識論です。認識されるまでは存在しなかったことと同じ、
認識されたら新たに作ったことと異なることは無いという意味です。
既に存在している宇宙への理解を深めることで、人間が宇宙自体を創造していくといえるとすれば、
神の存在可能性を高めることはできます。
以上の考察により、私は原因者たる神の存在を認めざるを得ないのですが、
長い割には、ちょっと安直過ぎたでしょうか。
ご承知のとおり、私は神の属性を網羅できていません。
見出して応用できる属性(上述)には価値がありますし、自分の裁量の範囲で応用できます。
私は、この命題の背後にある目的に興味があります。
まだ網羅できていない、神の属性を科学的検証で応用性のある作用として顕在化させ、
人間の問題の解決に役立てたいという欲求を感じたのです。
さて考察を進めてきた「神は存在するか?」はここで終わります。
いかがでしたか?
このような考察は、人類の進化に役立つのではないでしょうか。